〇黙 祷
〇招 詞 ルカによる福音書 22章 31~32節
〇讃 頌 讃頌歌 270 (1・3節)
〇祈 祷
〇聖書奉読 ヨハネによる福音書 17章 6~19節
〇説 教 「彼らをお守り下さい」
〇讃 頌 讃頌歌 343 (1・3節)
〇献 金
〇感謝祈祷
〇頌 栄 讃頌歌 5
〇主祈祷 主の祈り
※主日礼拝内容 (各家庭での礼拝に用いて下さい)
〇黙 祷 黙祷をもって礼拝を始めます。
〇招 詞 ルカによる福音書 22章 31~32節
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。 しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
〇讃 頌 讃頌歌 270 (1・3節)
〇祈 祷 お祈りいたします。
恵み深い父なる神さま。
この世にあって、迷いの多い私たちを主の御元へと呼び集めて下さり感謝いたします。霊と真をもって、主に礼拝を献げますから、この時間、私たちと共にいて下さり、大いなる恵みをお与え下さい。
希望の源であられる主なる神さま。
コロナウイルスの終息の兆しが少しだけは見えて来ましたが、まだまだ予断を赦さない状況にあります。どうか私たちがそれぞれが出来る最善の知恵と忍耐を持って、この闘いに打ち勝つことが出来ますようお守り下さい。この間に、生活が大きく狂わされ、希望を失い、苦しみを抱えた人々がたくさんおります。どうか、その一人一人の上に主の支えと導きを与え、この暗闇の中にあっても、希望を見出すことが出来ますように。また、感染が拡がらないよう諸活動を自粛している人びとに、あなたの励ましがあり、皆心を一つにして、この困難を克服出来ますように。
癒やしの主であられる神さま、
どうか、医療従事者をはじめ、感染終息のために、日夜働く人びとを強め助け、一日も早く、このウィルス被害が終息しますようにお導きください。感染によって発症した人びとの苦しみをやわらげ、速やかな快復をお与えください。亡くなられた人びとの魂とその家族の上に、平安がありますように。
また、世界の為政者たちが、自らの政治生命をかけて、この困難に立ち向かうことが出来ますよう、勇気と決断力と人々に仕える献身の心をお与え下さい。
主よ、この時間、飢え渇きを覚える私たちの魂に、御言葉を通して、恵みを降り注いでください。私たち広島教会に属する全ての主の家族に平安と喜びをお与え下さい。
すべての祈りと併せて、このお祈りを、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
〇聖書奉読 ヨハネによる福音書 17章 6~19節
17:6 世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。
17:7 わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。
17:8 なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです。
17:9 彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。
17:10 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。
17:11 わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。
17:12 わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。
17:13 しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。
17:14 わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。
17:15 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
17:16 わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
17:17 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
17:18 わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。
17:19 彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。
〇説 教 「彼らをお守り下さい」ヨハネ 17章 6~19節
先週、ヨハネによる福音書17章は、最後の晩餐の席上でのイエスさまの最後の言葉であり、弟子たちのための執り成しの祈りであると、ご紹介しました。最後の晩餐の席上でイエスさまが語られた言葉の一つ一つが、弟子たちに対する遺言のようなものであったわけですが、そのイエスさまの遺言の最後が、弟子たちのための執り成しの祈りで締めくくられているわけですね。
今日は、ここでイエスさまが何を祈られたのか?ということを、御一緒に考えてみたいと思います。
イエスさまの祈りのその内容は、一言で言いますと、「弟子たちを守ってください」と言うことです。先週、御一緒に読みましたように、この祈りのは、「父よ、時が来ました」(17章1節)という、父なる神さまに対する呼び掛けで始まっております。それは、イエスさまが十字架上で死ぬということですが、弟子たちとはもう一緒にはいられないということです。ようやく自分の愛が弟子たちに伝わり、神さまの愛が分かった弟子たちでありましたが、それはイエスさまが弟子たちの側にいて、守っていたが故のことでもありました。それがもう自分は弟子たちの側にはおれない、だから、「父なる神さま、彼らはお守り下さい」と祈られているわけですね。イエスさまの願いは、ただ一つ、弟子たちが守られることでした。
普段の生活の中で祈る人は、この、誰かのための執り成しの祈りをよくされると思います。そして、言葉としては、イエスさまと同じように「守ってください」、お守りください、という言葉を使うことが多いかと思います。では、皆さんは、誰かのことを“守ってください”と祈る時、いったい何から守ってください、と祈っておられるのでしょうか?私たちの場合、守ってください、お守りください、という言葉を、祈りの中で、あまり深く考えることもなく、使っているように思います。それはごく単純に、例えば、その人が事故に遭わないように、事故からお守りください、と考えていたり、また、その人が風邪をひかないように、インフルエンザにならないように、体調を崩さないようにと、病気からお守りください、と考えています。もしその人が既に病気であれば、その病気が重くならないように、致命的にならないように、病状の悪化からお守りください、と考えています。あるいは、その人が人間関係でトラブルに巻き込まれ、ストレスを抱えないように、人間関係のこじれからお守りください、と考えています。私たちが普段、誰かのために、お守りくださいと祈る時は、そういう意味で祈っているのではないでしょうか。
この祈り自体は、決して間違っているわけではなく、至極、自然な祈りだと思います。けれども、イエスさまが「彼らを守ってください」と弟子のために祈る時、そして現代の弟子である私たちのために祈ってくださる時、その意味内容は、私たちの“お守りください”とは、少し違うように思うのです。
イエスさまは、16章33節で「あなたがたには世で苦難がある」と言われました。また、今日の14節に、「世は彼らを憎みました」とあるように、繰り返し世の人々の迫害や苦難があることを語って来られました。この迫害や苦難があるということが、私たちの生活の前提にあるのです。事故がある。人間関係のトラブルがある。不慮の出来事が起こる。病気になる。そして死を迎える。そういったことは、私たちの人生に当然、あり得ることなのです。苦難や困難がないに越したことはありません。けれども、これらの苦難がない人生など、考えられないのです。この苦難があるということが、私たちの生活に前提としてある上で、イエスさまは何と祈っておられるでしょうか?15節にあります。「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」(15節)
弟子たちを「世から」別世界に取り去ってしまえば、苦難やトラブルや病気はなくなるでしょう。けれども、それは非現実的で、ナンセンスな祈りです。イエスさまは、この世において弟子たちを、「悪い者から」守ってください、と祈っておられるのです。
では、この「悪い者」とは何でしょうか? それは直接的には、クリスチャンと教会を迫害する人々のことを指しています。また、その迫害や苦難によって、動揺し、イエス・キリストを信じる信仰を捨て、教会から離れ去って行った人々がおりましたが、それが、12節で「滅びの子」と言われている人々です。ですから、イエスさまは迫害から弟子たちを守って下さいと祈られ、決して信仰を捨てないように、教会から離れ去らないように、神さまの救いから外れて滅んでいかないようにと、祈っておられるのです。
ルカによる福音書22章を見ますと、最後の晩餐の席上で、イエスさまがシモン・ペトロのために祈られた祈りがあります。ご自分が捕まり、十字架に架けられると予告したイエスさまに対して、ペトロは、ご一緒なら投獄も死ぬことも覚悟していると言いました。けれども、実際にはペトロは、イエスさまを知らない、関係ないと否定し、イエスさまを見捨てて、離れ去って行きます。そのペトロのために、イエスさまはこのように祈られました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないようにと祈った。だから、あなたが立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ 22章31~32節)。迫害がある。苦難がある。そういう中で「守ってください」と祈ることは、「信仰がなくならないように」と、「悪い者から守ってください」と祈ることにほかなりません。
「悪い者」とは、単に人間のことではなく、現代的に受け止めれば、私たちを信仰から、教会から引き離す原因、要因のことだと考えられます。私たちが生きる世界は、そういうものに満ちあふれています。周りの人から信仰に反対されることもそうでしょう。もっと楽しいことに、あるいはもっと目に見える利得があることに誘われる誘惑もそうでしょう。誰かとトラブルを起こし、赦し合えず、ストレスや怒りを抱えることもそうでしょう。持っていた財産や地位、名誉を失う喪失や、家族を失う悲しみ、健康を損なう落胆、病気になり死を恐れる恐怖‥‥‥考えれば、私たちを信仰と教会から引き離すものはたくさんあります。今のコロナウイルスもそうかもしれません。そういった苦難や誘惑に飲み込まれて、信仰がなくならないようにと、イエスさまは私たちのために祈ってくださるのです。信仰によって生きる喜びを、慰めを、希望を失わないようにと祈ってくださっているのです。
皆さん、私たちは、自分の意思で、自分の力で信仰を守ることが出来るのではありません。私たちの力を上回るものなど、この世にたくさんあります。そういう中で今も、主イエス・キリストが天において、私たちの「信仰がなくならないように」祈ってくださっているから、その祈りの「保護」(12節)によって私たちは守られているのです。自分の力ではなく、主イエス・キリストの祈りによって、神さまの力によって、聖霊の保護によって私たちは守られていることを深く自覚しなければなりません。
そして、主イエス・キリストの祈りの保護を信じる者こそが、誰かのことを「守ってください」と祈ることができるのです。シンプルに、事故から、トラブルから、病気から守ってください、という祈りもいいです。そして、もう一つ、事故やトラブル、病気になった時に、それによってその人の「信仰がなくならないように」、信仰による喜びに、慰めに、希望に生きることができるように、という祈りを加えたいと思います。
皆さん、このように、誰かのために祈ることが、私たちクリスチャンに、教会に、主イエス・キリストから託された使命なのです。
[お祈りいたします]
主なる神さま、私たちがこのように祈れるのは、主イエス・キリストが私たちの「信仰がなくならないように」と祈ってくださり、その祈りの「保護」よって私たちは守られているからです。この聖霊の保護の中で、私たちも誰かのために、「信仰がなくならないように」、また、「信仰による喜びに、慰めに、希望に生きることができるように」と祈ることが出来ますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
20.05.24주일(요약판) “그들을 보전하옵소서” 요한복음 17장 6~19절
지난 주, 요한복음 17장은 최후의 만찬 자리에서의 예수님의 마지막 말씀이며 제자들을 위한 중보기도라고말씀드렸습니다만, 오늘은 여기서 예수님께서 무엇을 기도하셨는지를 함께 생각해 보고자 합니다.
예수님의 기도의 그 내용은 한마디로 말씀드리면, “제자들을 지켜 주시옵소서” 라는 것입니다.
17장 1절에 “때가 이르렀다”고 되어있습니다만, 그 “때”라는 것은 예수님께서 십자가 위에서 죽으실 때입니다. 예수님께서는 제자들과는 더 이상 같이 있을 수 없다는 것입니다. 그제서야 예수님의 사랑이 제자들에게전해지고, 하나님의 사랑을 깨닫게 되었습니다만, 그것은 예수님께서 제자들 곁에 계시고 지켜 주셨기 때문입니다. 그러나 예수님께서는 제자들 곁에 있을 수 없게 됩니다. 그래서 예수님께서는 “그들을 보전하옵소서” 라고 기도하신 것입니다. 예수님의 소원은 오직 하나 뿐이었습니다. 바로 제자들을 지키는 것이었습니다.
평소의 생활 가운데 기도하는 사람은 이 누군가를 위한 중보 기도를 잘 하시는 줄 압니다. 그리고 말로는 예수님과 마찬가지로 “보전해 주옵소서”, 라고 지켜 달라는 말을 쓸 때가 참 많다고 생각합니다.
그렇다면, 여러분은 누군가를 “지켜 주옵소서” 라고 기도할 때, 도대체 무엇으로부터 지켜 달라고 기도하시나요?
단순히 예를 들면, 그 사람이 사고를 당하지 않도록 기도하거나 , 또 그 사람이 병에 걸리지 않도록, 컨디션이 나쁘게 되지 않도록 해달라고 생각하며 기도합니다. 만일 그 사람이 벌써 병에 걸려 있다면 그 병이 나빠지지 않도록 기도할 것입니다. 우리가 평소에 누군가를 위해 지켜달라고 기도할 때는 그러한 뜻으로 기도하고 있는 게 아닐까요?
이 기도 자체는 결코 틀린게 아니라 당연한 기도라고 생각합니다. 그러나 예수님께서 “그들을 보전하옵소서”라고 제자들을 위해 기도하실 때, 그리고 현대의 제자인 우리를 위해 기도해 주실 때, 그 의미와 내용은 우리의“지켜 주옵소서” 라는 것과는 좀 다른 것 같습니다.
예수님께서는 16장 33절에서 “세상에서는 너희가 환난을 당한다”고 말씀하셨습니다. 또 오늘의 14절에 “세상이 그들을 미워하였다”고 되어 있듯이 반복해서 박해나 환난이 있는 것을 말씀하셨습니다. 이 박해나 환난이 있다는 것이 우리 생활의 전제로 되어 있는 것입니다.
사고를 당한다. 병에 걸린다. 뜻밖의 일이 일어난다. 인간 관계의 문제가 생긴다. 그리고 죽을 때를 맞이한다. 그러한 것들은 우리 인생에 당연히 있는 것입니다. 환난이나 고난이 없는 게 좋습니다. 그러나 이러한 환난이없는 인생은 생각할 수 없는 것입니다.
이 환난이 우리 생활의 전제로 되어 있을 때 예수님께서는 어떻게 기도하셨을까요? 15절에 있습니다.
“내가 비옵는 것은 그들을 세상에서 데려가시기를 위함이 아니요. 다만 악에 빠지지 않게 보전하시기를 위함이니이다”(15절)
제자들을 이 세상이 아닌 다른 세계로 보내 버린다면 환난이나 문제나 병은 없어질 것입니다. 그러나 그것은비현실적이고 무의미한 기도입니다. 예수님께서는 환난이나 문제나 병이 당연히 있는 이 세상 안에서 제자들을 “악에 빠지지 않게 보전하옵소서” 라고 기도하신 것입니다.
그렇다면, 이 “악”이란 무엇일까요? 그것은 직접적으로는 크리스천과 교회를 박해하는 사람들을 가리킵니다. 또 그 박해나 환난으로 동요해서 예수 그리스도를 믿는 신앙을 버리고 교회를 떠나간 사람들입니다만, 그게 바로 12절의 “멸망의 자식”이라고 불려진 사람들입니다.
그러니까 예수님께서는 박해로부터 제자들을 지켜달라고 기도하시고, 결코 신앙을 버리지 않도록, 교회를 떠나가지 않도록, 하나님의 구원으로부터 어긋나 멸망하지 않도록 기도하신 것입니다.
누가복음 22장을 보면, 최후의 만찬 자리에서 예수님께서 시몬 베드로를 위해 하신 기도가 있습니다. 자기가붙잡혀 십자가에 못박힌다고 예고하신 예수님께 베드로는 “내가 주와 함께 옥에도, 죽는 데에도 가기를 각오하였다”고 말했습니다. 그러나 실제로는 베드로가 예수님을 모른다, 관계 없다고 부정하여 예수님을 버려 떠나갑니다. 그 베드로를 위하여 예수님께서는 이렇게 기도하셨습니다. “시몬아, 시몬아, 보라 사탄이 너희를 밀까부르듯 하려고 요구하였으나 그러나 내가 너를 위하여 내 믿음이 떨어지지 않기를 기도하였노니 너는 돌이킨 후에 네 형제를 굳게 하라”(눅 22장 31~32절)
박해가 있다,환난이 있다,그러한 가운데 지켜달라고 기도하는 것은 믿음이 떨어지지 않도록 악에서 지켜달라고 기도하는 것 바로 그것입니다.
“악”이란 현대적으로 생각하면, 우리를 신앙으로부터 또 교회로부터 갈라 놓는 원인, 요인을 말합니다. 우리가 사는 세계는 그러한 것이 넘쳐 나고 있습니다. 주변의 사람들로 반대 당하는 것도 그렇지요. 더 즐거운 것에, 또는 더 눈에 보이는 이득이 있는 것에 유혹되는 것도 그렇지요. 누군가와 트러블을 일으켜서 서로 용서하지도 못하고 스트레스나 노여움을 품는 것도 그렇지요. 가졌던 재산이나 지위, 명예를 잃는 상실이나 가족을잃는 슬픔, 건강을 해치는 낙담, 병에 걸려서 죽음을 두려워하는 공포‥‥, 생각하면 우리를 신앙과 교회에서갈라 놓는 것은 너무나도 많이 있습니다. 요즘의 코로나19도 그럴지 모릅니다.
그러한 환난이나 유혹을 못 이겨 신앙이 없어지지 않도록 예수님께서는우리를 위해 기도해 주시는 것입니다. 신앙으로 사는 기쁨을, 위로를, 소망을 잃지 않도록 기도해 주시는 것입니다.
여러분, 우리는 자기의 의사로 또 자기의 힘으로 신앙을 지킬 수 있는 게 아닙니다. 우리의 힘을 상회하는 것은 이 세상에 많이 있습니다. 그러한 가운데 지금도 주 예수 그리스도께서는 하늘에 계셔서 우리의 신앙이 없어지지 않도록 기도해 주시니 그 기도의 “보전”(12절)으로 우리는 지켜지고 있는 것입니다. 자기의 힘으로가아니라 주 예수 그리스도의 기도로, 하나님의 힘으로, 성령의 보전으로 우리가 지켜지고 있는 것임을 깊이 자각해야만 합니다.
그리고 주 예수 그리스도의 기도의 보전을 믿는 자야말로 누군가를 위해 “지켜 주시옵소서” 라고 기도할 수있는 것입니다. 단순히 사고로부터, 트러블로부터, 병으로부터 지켜 달라는 기도도 좋습니다. 그리고 또 한 가지 사고나 트러블이나 병에 걸렸을 때에 그로 인해 우리의 신앙이 없어지지 않도록 또 신앙에 의한 기쁨으로, 위로로, 소망으로 살아갈 수 있도록 기도해야 합니다.
여러분, 이렇게 누군가를 위하여 기도하는 것이 우리 크리스천과 교회에 주 예수 그리스도로부터 맡겨진 사명인 것입니다.
〇讃 頌 讃頌歌 343 (1・3節)
〇献 金 ※ 毎週、各家庭で献金を献げ、教会で礼拝を守られるようになりましたなら、まとめて献げてください。
〇感謝の祈り
主なる神さま。今ここに、それぞれが感謝と献身のしるしとして献金を献げました。、この献げ物を通して、あなたへの感謝と信頼を新たにすることができますように。そして、与えられた全てのものを通して、あなたの栄光をあらわすことが出来ますように、私たちをお導き下さい。今日よりの新たな一週間もあなたと共に歩ませてください。この困難な時期を耐える力を私たちにお与えください。また、あなたとのつながり、そしてあなたを信じる人々とのつながりがより深まりますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
〇頌 栄 讃頌歌 5
〇主祈祷 主の祈り
天にまします我らの父よ。
願わくは、御名をあがめさせたまえ。御国をきらたせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。